こんばんは、読子です。
今回は読書会の記事です。
…とは言っても、いつものメンバーな「本好きの秘密基地」のはむちゃんさんがお休みに入りましたので、一旦3人読書会はおやすみ。ここからは「郵便局のおじさんは9時40分ごろやってくる」のニードルさんとのサシ読書会が始まります!
題して
「第一回 屋根裏の内緒話〜!」
※勝手に題すな
ニードルさんと実際に読書会をしたらどんな感じになるのかな?夜遅くにおすすめの本を持ち寄って、屋根裏で夜ふかし読書会かな…?なんて想像から勝手にタイトルを設けました。
※別案あればそっちにしましょうね!
では第一回目の課題本です。
選書はニードルさん。
「ワンダフル・ライフ」丸山正樹
目次
- 無力の王(1)
- 真昼の月(1)
- 不肖の子(1)
- 仮面の恋(1)
- 無力の王(2)
- 真昼の月(2)
- 不肖の子(2)
- 仮面の恋(2)
- 無力の王(3)
- 真昼の月(3)
- 不肖の子(3)
- 仮面の恋(3)
- エンドロール
- 年譜
- あとがき
4つの章を少しずつ順繰りに読んでいく構成となっています。
あらすじ
✩無力の王(1)(2)(3)
介護者たる「わたし」と、被介護者である「妻」の話。介護者側の気持ちが一番ダイレクトに記されてるのがこの章。被介護者の気持ちもまた、鋭く刺さるような文章で綴られています。
✩真昼の月(1)(2)(3)
子供のいない夫婦、摂と一志の話。「生まれてくる子供の障害とその親」という切り口から、“いのち”を考えさせられます。一年間という期限を決めて妊活に励む二人ですが…
✩不肖の子(1)(2)(3)
私(岩田)と不倫相手の洋治と、脳卒中で倒れた不倫相手の父親(誠治)と…そして岩田に恋心を寄せる国枝の話。
主人公の「私」は職場の上司と不倫の関係。始めは自分を優先していたはずなのに、父が脳梗塞で倒れたことを理由に徐々に私と距離を取ろうとする洋治の態度に納得がいきません。そして私は洋治に聞き出した病院の一室を訪れ…
✩仮面の恋(1)(2)(3)
〈テルテル〉こと照本俊治と、女子大生〈GANCO〉、そして有償介護ボランティアの祐太の話。介護経験者の〈テルテル〉として、オンライン上で〈GANCO〉と交流を持っていた照本。その実、照本は脳性麻痺のため被介護者として祐太をはじめ介護スタッフにケアを受けています。最初こそ文章での交流をしていましたが、いずれ照本はGANCOと写真を交換し、直接顔を合わせることになります。そしてGANCOの前に現れた照本は、一時的に祐太と名前を交換し、祐太をテルテルとして振舞わせ、自身を祐太としますが…
感想
※“がい”を平仮名や碍にしなければ失礼だというのは考えすぎと言うか、そんなことを思いつくこと自体が失礼では…?と思う派なので、本記事での表記は本書文中表記に合わせて「障害」としております。そもそも「障害」は“その人が”という意味ではなく、“その人にとっての社会が”ということだと理解しておりますので…車椅子に優しくない段差とか、点字や音声案内の無い施設とか、そういうことだと思っております。他意はございませんのでご承知おきいただけますと幸いです。
「表記を気にして欲しい」という当事者の方々たっての希望である可能性を考慮し、念のため「障害」の表記について調べましたが、「害」という漢字に負の印象があることから一部の地方自治体や企業が自らの判断で「障がい」と表記し始めたのが起源だそうです。国としての正式な見解は出ていませんが、政府発行書類などでは、常用漢字の「害」を使った「障害」が使用されているようです。(勉強になりました!)
では本編感想に入ります。
⚠︎以下ドえらいネタバレをします!⚠︎
この構成本当にすごい!!!
2回読みたくなる本ですね、これは。
途中までそれぞれ別の人間の人生のように書かれているのに、最後に同一人物の過去から現在であることが明かされて本当に驚きました…!!(もちろん私は2周目いきました)
最後に「…そんな別の未来もあったとしたら」というif的な内容が短く書かれていますが、殆ど間を置かずに現実がぶつけられます。なんとも非情…テルテルのメールにGANCOからメールが返ってこないのもまたリアルだなと思いました。一瞬GANCOが頸髄損傷したから…?とも思いましたが、時系列的にまだそこには到達していないでしょうし…
「無力の王」パートでは、介護者と被介護者のそれぞれの思いを知ることとなります。特に被介護者である「私」から
「『仕事』っていうのは、別に対価をもらってすることに限らないの。したくないけどしなければならないからする、それを『仕事』って言うの」
という台詞が出てくるのですが、これは全くもってそう。本当に、そう。
介護者側だって仕事としてしているかもしれないけれど、被介護者だって「介護されたい」と思ってされているとは限らないものね…(されたいと思っている人は少数派でしょうし、自分でできるなら自分でしたいですよね。人間の尊厳ってそういうところで築かれていくものだしね)改めて当たり前のことに気付かされるフレーズでした。
また、「私」の横柄な振る舞いに関しては
「私がその言葉(ありがとう)を使わなかったおかげで、あなたは私を憎むことができた。そして今、私を捨てることができる。そうでしょう?」
という台詞と共に出された施設入所の申請用紙から、彼女のプライドと不器用な優しさが垣間見えました。誰だって一番大切な人生の伴侶に辛い思いなんてさせたくないですものね。夫の優しさを理解している「私」だったからこそ、徹底した横柄さで夫に辛く当たり、(施設に入れる判断で)心が揺れないようにしていたのだと思います。
もちろんそういった思いやりもあったことでしょう。でも、それ以上に彼女のプライドの限界だったのだと思います。
「仮面の恋」の序盤で「障害者はいつだって介護者に感謝をしていなければいけない?それって感謝の押し付けでは?」と言った彼女の価値観をはじめ、最後の年譜で明かされる夫の不倫や、大切な夫に介護を強いる(そして自身が介護される)苦痛。ここから想像するに、「私」のプライドはきっとズタズタです。尊厳を守り抜くための行動であったことが、優しい夫に伝わりきっていないのがなんとも切ないですね…
それからもう一つ。「不肖の子」パートで、入院中の不倫相手の父(誠治)が意識不明の状態で登場するのですが、「私(岩田)」からの誠治への関わり方について、やはり思うところがありました。(看護師的に)
私には脳卒中センターで勤務していた時期があり、まさに誠治のような病状の方に接する機会もありました。読んでいて、そんなあの頃のことを思い出さずにはいられませんでした(隙自語りですが自ブログなので許してください)。
当たり前の話ですが、患者さんの意識がはっきりとしていなくても、ケアに入る時には当然聞こえているつもりで関わります。でも「〇〇しますね」「気持ちいいですね」「ご家族さんがいらっしゃいましたよ」とか、そういった当たり前の会話ではなく…、もっと岩田のしたような「今日はいいお天気ですよ」「今朝はこんなニュースがあったんです」「〇〇が咲きましたよ、春ですね」「年が明けましたね」なんて気の利いた雑談の一つでも出来たらよかったのに…と、今ならそう思います。思い返せば、開眼したり僅かでも反応のある患者さんにはしていた雑談を、意識のない患者さんにはあまりしていませんでした。おかしな話ですよね。同じ患者さんなのに。
きっと聞こえているつもりで接してはいるものの、一方通行な会話に、心のどこかで【聞こえていないのかもしれない】という諦観に似た思いがあったのだと思います。本当によくないですね。
脳卒中の病棟を離れて数年経ちましたが、今でもこの手の話題に触れると、この頃を思い出しては己の未熟さを反省します。
「真昼の月」パートでは、『排除アート』という言葉に初めて触れました。
《誰にでも優しい社会を》という思想と逆行する存在ですねこれは…ネットでも調べてみましたが、街中で見かけるような「おしゃれな椅子」や「おしゃれなオブジェ」だと思っていたそれが、まさに排除アートと呼ばれる存在だったとは。
【ここから読子のグチャグチャ思考タイム☞】でもこれを考えるには、まずホームレスを是とするか否か的な難しい話から考えなければならなくて、でもホームレス以外にも排除アートで困ってしまう方も出てきてしまうという問題点もあるし、というかそもそも排除アートも「街中の環境(治安)を良くしよう」という思想からスタートしているのであろうし、でもその「良く」って誰にとって…?って話にもなるし、あああ…(頭がパンクする音)
難しいですね。簡単に答えは出ないし(そもそも正解なんて無いだろうし)、私が考えたところで何も出来はしないけれど、考えることを放棄するのはしたくないなと思いました。
あまり考え過ぎずに心で読んでも良い本なのでしょうけれど、たくさんたくさん考えさせられる内容で、なんだか…なんだかこの本とても好き(←考えるの好きな人)。現実の非情さがあるのに、そこから目を離せなくなるようなグッと惹きつけられる本でした。
ニードルさん、素敵な選書ありがとうございました!良い本との出会いでした😭✨